大分以前に静岡に行った。
目的地について周囲を見渡すとデッカイ山が目の前の上空にあった。
圧倒的な威圧感と存在、麓は霞んで見えない、とにかくビックリした。
秋田で見てきた山とはレベルが違う、「これは山ではない」、そう思った。
覆い被さってきそうなシルエットは、鬼軍曹を連想させ人格を持っていた。
甘えを許さない厳しい存在感は同時に奇妙な親近感を持てた。
変な例えになるけど、超巨大な巨人で、今にも歩き出しそうな「山」だった。
いったい何の山だ?
こんな巨大な山は富士山しかないが、今まで見たことのない富士山だった。
写真で見る富士山ではなく、超巨大でのしかかるようなシルエットだ、誰かが空に筆で書いたような富士山だ。
このようなところで暮らせる人は幸せだ、と羨望を込めて思ったし、ここで暮らしたいとも思った。
でも不思議なのはこんな富士山を写真なんかで見たことがなかった。
長い間この事が心の隅に引っ掛かっていた、アレは本当に富士山だったのかと。
でもオレと同じような富士山を見た人がいたことが分かった。
その人はイザベラ・バード(1831~1904)、英国女性で生涯の大半を旅行に使った人だった。
1878年(明治11年)、日本に来て日光から北海道までヨーロッパ人としては初めての旅行をした、その時イザベラ・バードは47歳。
モウ旅行家というよりは冒険家に近い女性だった。
この本を読むきっかけは、オレの住む所を通っているからだ。
当時の東北はビックリするほど貧しく衛生状態も良くない、そんな中イザベラ・バードはお供を連れ旅をする。
東北の暮らしは貧困だったけど、人々は礼節を知り明るかった。
ガンバレ東北!
イザベラ・バードが富士山を書いた箇所がある。
本文から
「富士山はどこかと長い間さがしてみたが、どこにも見えなかった。
地上ではなく、ふと天上を見上げると、思いもかけぬ遠くの空高く、巨大な円錐形の山を見た」
とあった、オレと同じような富士山を見た人がいた、思わぬ再会に心躍った。
原注には「これはまったく例外的な富士山の姿で・・・・・」と、あった。
やっぱり例外的な富士山だったが、あの衝撃は今でも忘れない。
あれは「山」ではない。
【参考資料 イザベラ・バード著・高梨健吉訳「日本奥地紀行」平凡社ライブラリー】
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【日本奥地紀行】
第三者から見た日本が、本当に生々しく描かれているし読んでいて面白い。
気に入ったのか五回来日している、旅行は馬を使っていて馬に対する日本人の描写が描かれている。「馬は蹴られることも、打たれることもない、荒々しい声で脅されることもない」とか食べるための鶏は可哀相で売ってもらえなかったが、卵を産むためなら、喜んで売ると書かれている。
価格:1,296円 |