【第59回ル・マン24時間レースが始まった】
1991年6月22日レースの幕は切って落とされた。
一周13.6㎞のル・マンのサーキットに三台のMAZDA・ロータリー車、787Bが走り出した。
第59回、栄光と名誉を懸けたル・マン24時間レースはロータリーにとって最後の年だった。
【予想通りメルセデスC11がトップ】
1時間経過の順位は〖1位/プジョー905 2位/ポルシェ962 3位/ポルシェ962 4位/メルセデスC11 5位/メルセデスC11 6位/ポルシェ962 7位/メルセデスC11 8位/ポルシェ962~ 11位/マツダ787B 12位/マツダ787B 27位/マツダ787〗
と続き、その後プジョーが脱落1位から3位をメルセデスC11が占めた、この時点で4時間経過。
マツダ787Bに装着されたカーボンディスクは、驚くほどブレーキングを遅らせることができた。
【6時間経過の順位】
1位 メルセデスC11
2位 メルセデスC11(+1周)
3位 メルセデスC11(+2周)
4位 マツダ787B (+3周)
5位 ポルシェ962 (+2周)
10位 マツダ787B (+2周)
13位 マツダ787 (+5周)
周回を重ね夜を過ぎ午前7時、脱落するマシンが続く中、マツダ787Bとマツダ787は快調だった。ル・マン参戦25回のペスカローロの操るポルシェ962は、ギアボックス破損でリタイア、パーマーの操るメルセデスC11もオイルポンプ破損で消えた。
大方の予想を覆し、バイドラー/ハーバート/ガショーガ操るマツダ787Bは2位につけていた。
そして、20時間が過ぎた。
【20時間経過の順位】
1位 メルセデスC11
2位 マツダ787B (+4周)
2位 ジャグァーXJR12(+5周)
7位 マツダ787B (+11周)
10位 マツダ787 (+17周)
【メルセデスC11のピットイン】
午後12時50分、先頭を走るメルセデスC11の後部から煙が出ている、信じられない光景だった。
快調に走っていたアラン・フェルテの操るメルセデスC11がトラブルに襲われた。
ピットインしたメルセデスが出てこない、一分が過ぎ、二分が過ぎ、三分が過ぎた、しかしメルセデスは出てこない。
その間、マツダ787Bは周差を縮めてゆく、1周、2周、3周、そして4周、ついにル・マンで日本車がトップに出た。
やったー!マツダ787Bの前には誰も走ってはいない、勝利の女神が微笑んでくれたのだ。
【ヤッターーーーー!!!】
苦節!苦節24年!、ロータリーが世に出て24年!ついに世界のトップにロータリーが躍り出たのだ。
ル・マン参戦17年、苦渋と忍耐の17年!そして悲願の17年、ロータリーよお前は今トップに立ったのだ。
飛べロータリー、叫べロータリー、吠えろロータリー!、その旗印を高く掲げ、ロータリーの前に走るマシンがないことを見せてやるがいい!
ダンロップ・ブリッジをくぐり抜け、レ・ユノディエールのストレートにロータリーの雄叫びを刻み込むのだーーーーーーー!
【苦節!苦節24年!】
レシプロエンジンの設計開発者は星の数ほどあれど、ロータリーエンジンの設計開発者はほんの一握りの人員。
苦節、苦節24年、苦渋と忍耐の24年!、マツダロータリーエンジン、お前は見事に走りきったのだ。
マツダロータリーエンジンよ、お前は日本の宝であり、国宝なのだ。
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【ロータリーエンジンのキーホルダー】