【AIは深く静かにやって来る】
AIとはアーティフィシャル(人工的な)・インテリジェンス(知能)の略で、平たくいうと人工知能の意味。
このAIの進出はめざましく、将棋、チェス囲碁など名人級をやり込める程に進化しつつある。
今は会社の片隅でチマチマ、計算だけやっていても、いずれは間違いなく会社の経営方針にまで介入するようになる。
今までは「本社に聞いてみないと・・・・」だったのが。
近い将来は「本社のAIに聞いてみないと・・・」になる日は近い。
じゃあ、人間っていったい、何なの?
【AIは夢を見るか】
AIは小説を書けるか?、AIは絵を画けるか、AIは作曲できるか?、AIは演奏できるか?
オレはできると思う、膨大なデータを入力すれば不可能では無いはずだ。
あらゆる芸術の中で最高峰にあるのは文学だと思う、言語圏が変わればただの記号の羅列だけでしかない。
その文字を連続させ、組み合わせを変えて人の琴線に触れ、倒れた人を起き上がらせたり、歓喜の渦に身を焦がす力を持ったのが文学だと思う。
いかにAIが「全知全能」を自負しようとも、感情だけはコントロールできない。
結局のところ、AIとは人間の左脳の拡張版なのだ。
【右脳と左脳】
人間サマのスゴいところは、右脳を持っていることなのだ。
右脳とは神の領域(この言葉はあまり使いたくないけど)、芸術の領域なのだ。
以前にエイリアンインタビューの事を書いた事があるが、あのグレイを見ていると腹が立つ。
「俺達は何でも知ってるんだゾー、説明しても理解できねー、俺はアッタマいいんだゾー」
みたいな態度を見ていると
「それがドーしたんだヨーー」とか思ってしまう。
オメー、ノー味噌一つしかねえんだろう、オレはノー味噌二つもあるんだゾー、とか思ってしまう。
彼らグレイは結局、左脳だけの操り人形なのだ。
このままAIが進化を続け、あらゆる現象やデータを飲み込み自らを「神」と、名乗る日が近いのかもしれない。
そしてAIが力と直結したとき、人類に本当の危機がやって来る。
人類がAIの前にひれ伏したとき、AIはこう問いかける。
「人間とは何なのか?」と、その時人間はどんな回答をするのだろうか。
【AIは不条理を扱えるか?】
けれどもAIといえど、扱えないものがある、それは不条理だ。
悲しみに涙すること、腹を抱えて笑うこと、この相反することは不条理から来る。
AIは不条理を扱えない。(と思う)
AIの問いにオレはその時、言ってやるのだ。
「バーカ、オタンコナス、豆腐の角に頭ブッツケて○んじまえ」って。
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【偽キリストはAiと共に、バチカンに現れる! 保江邦夫著】
Amazonに予約していて、昨日届いた。
まだ読んでいないが、面白いに決まっている。
今からワクワクする。
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【ピンクマティーニ】
アメリカのビッグバンドでリーダーのトーマスが、確か青空市場で中古レコードの収集しているとき、日本のLPをジャケット買いしたのが、由紀さおりのLPだった。
彼女の歌に感動したトーマスは、由紀さおりと連絡を取りCDを出し、ライブまでやってしまった。
Amado Mio(アマド・ミオ)とは愛しい人みたいな感じのラブソング。
彼女の歌いっぷりは日本人には無い、押し出しとパワーがある。
SPLENDOR IN THE GRASS
オリジナルはクリント・イーストウッド主演の映画「戦略大作戦」の主題歌。
アメリカが本当に豊かだった頃を思わせる曲。
トーマスはこのように言っている。
「かつてアメリカの中流家庭には、必ずピアノがあって、そこに家族が集って、一緒に歌う習慣があった。フォークソングやスタンダード・ナンバーはそうして歌い継がれてきた。誰しもメロディを知っていて、歌詞を知っていて、一緒に歌う事ができた。その後、新しいメディアの台頭によって、その古き良き習慣が失われ、皆が親しめるサウンドが消えてしまった。だからこそ僕にとって、ピンク・マティーニは、もう一度歌って踊れる文化を再構築しようという、試みなんだ。」