【令和四年初の与太話】
釣りにも行けない日が続くと、釣り記事を書けなくなってしまう。
カビの生えた昔話は、サラサラ書く気はないし・・・。
こんな時は現実から逸脱した、与太話を書きたくなる、嘘かホントか荒唐無稽な与太話は大好きなのだ、むしろこっちの方が書いていて乗ってくる。
以前にアレックス・コリアーというアメリカ人の動画を、見たことがあった。
宇宙人とコンタクトをしたとか、UFO関連の話をする人は多いが、個人的には好きになれない人が大多数だ。
話の中で一種の優越感を与える人が多い、そう受け感じると即座に動画を停止、または読むのを止める、その先はどうせ面白くもないからだ。(笑)
でもこの人、アレックス・コリアーは違っていた、ひと言で言うならば落ち着いた印象を受けたからだ。
【宇宙人初の公式訪問国、日本】
その動画の中で、たぶん仲間内での話題で公で、宇宙人が正式に訪問する国はどこかという話題になって、一致する国がある、それは日本だというのだ。
宇宙人が初めて公式訪問する国が、日本政府だというのだ。
彼の話は続く、公式訪問する理由として日本は数々の苦難をくぐり抜けてきたから。
そして、話はこう続いた「核爆弾を三発も落とされた」、翻訳者は括弧で「二発」の間違いと書かれていた。
オレはこの言い間違いに違和感を覚えた、彼の著書も世に出ているし彼くらいの常識人なら「ヒロシマ」、「ナガサキ」は知っていると思う、何故三発と言い間違ったのか、長い間そのことが引っ掛かっていた。
それがある日、驚くようなことに出会ったというか、知った。
アメリカが製造した原爆は三発あって、最初の一発は東京に落とす予定だった。
確かに戦略的には理にかなっている、オレもなぜ東京に落とさなかったのかと。
最初の一撃目の核攻撃は、実は東京だったのだ。
【これからが与太話】
さてさて、これからが本題、信じるも信じないもアナタ次第・・・ですゾ。
昭和19年8月26日、内務大臣の名をもって日本中の神社に訓令が出た。
つまり戦局を打開するべく米英の指導者を、呪○もしくは調伏せよという内容だった。
で、8月28日一斉に呪詛調伏が始まった。
効果があったのかどうかは分からないけれど、昭和20年4月12日、第32代大統領フランクリン・D・ルーズベルトは脳溢血で急逝した。
【秘伝の祝詞】
米国は三発の原子爆弾を完成させ、その初号機を積んだB29は東京に飛び立った。
直ちに陸軍大将の東条英機は、昭和天○にそのことを告げた。
東条英機は呪詛調伏での一連の多くのことを知る立場にあった彼は、陛下にB29を消して欲しいと願い出た。
しかし、戦争突入にあれほど反対していた陛下は、戦争突入した東条英機の助言を断ってしまう。
けれども、東条英機は下がらない、彼は「東京の民をお守り下さい」の言葉に陛下は動かされ、陛下はB29を消し去ることになった。
昭和天○は、聖徳太子が書いた秘伝の祝詞を唱え始め、激しく体力を消耗した昭和天○
は倒れ、一ヶ月の間意識不明が続いた。
同時刻、レシプロ戦闘機の最高傑作といわれるP51に護衛されたB29は、東京に向かっていた。
P51戦闘機にグルリと護衛されたB29は、護衛戦闘機パイロットの目の前で忽然と消えた。
B29が墜落した・・・そう思った米国軍は、一週間近く捜索するが発見できなかった。
昭和天○が意識不明の間に、広島、長崎に原子爆弾が投下された。
日本上陸したGHQはすぐさま消えたB29の情報収集に乗り出し、そして昭和天○にたどり着きマッカーサー元帥に報告した。
元々熱心なカトリック信者であったマッカーサー元帥は、昭和天○を呼びヤルタ会談で決まっていた、ロシア、中国、アメリカの日本分割統治を蹴ってやるから、聖徳太子の祝詞を教えるようにと迫った。
マッカーサー元帥の望みは叶い、この後の2014年3月8日マレーシア航空MH370便、謎の消息不明に続く。
【余談 インディアナポリスと伊58潜】
長崎、広島に投下した原子爆弾を積んだ、重巡洋艦インディアナポリスはテニアン島に原子爆弾を下ろし、レイテ島に向かうためフィリピン海を航行していた。
その重巡インディアナポリスを観察している潜水艦があった、日本海軍の伊58潜だった。
すぐさま橋本艦長は「艦影発見、魚雷戦用意、回天戦用意」と発令。
そして橋本艦長は回天の操縦員の矢の催促を無視して、魚雷戦に入った。
「発射雷数6」下令、方位角60度、距離1500mで全発射管の全魚雷を連続発射、発射した6本の内3本がインディアナポリスに命中し、沈没した。
海に投げ出された乗員1200名の内、救助された乗組員は約300名、亡くなった900名は疲労やサメの襲撃などで命を落とした。
【悲劇のインディアナポリス】
更に悲劇は続く、軍上層部の不手際を隠すため、軍法会議でチャールズ・マクベイ艦長を有罪とした。
海軍内で昇進を凍結され、乗組員の遺族からの非難の手紙が届く中、チャールズ・マクベイ艦長は1968年に拳銃自殺した。
しかし、インディアナポリスの乗組員や、伊58戦の橋本艦長などがチャールズ・マクベイ艦長の名誉回復のため動き出した。
2005年7月インディアナポリスの生存者たちの集まりに、意外な招待客がいたイイダ・アツコといい橋本艦長の孫娘だった。
彼女自分の子供2人とインディアナポリスの家族と共に、微笑みと涙を浮かべる500人の観衆の前で歌を歌った。
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【参考資料】
*保江邦夫著「祈りが護る国」
*佐藤和正著「艦長たちの太平洋戦争」
*荒俣宏著「日本仰天起源」
*WEDGE infiinityから