By The Sea

初めての渓流釣りの人へ、街の喧騒を離れ出かけよう

人はどんな生き物とも会話できるのかもしれない

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自宅前で毎年春先に咲く花、自分には植物に対する才能が全く無い Planar 2/45

その頃は餌釣りとルアーをどっちつかずで渓流釣りをやっていた。

その日は餌釣りで釣り上がった。

天候に恵まれ青空の下で釣り上がって行くと広い川幅が急に狭くなる場所があって、こんな所には大型ヤマメやイワナが居着くことが多い。

 

今日一番の最高のポイントだ、急な流れの両岸はほぼ垂直に切り立った岩場で釣るための足場が極端に限られた所しか無い。

白く泡になった流れは速く、深い水深を持つ淵は底の状態がよく分からない場所だった、友人はここで32㎝のヤマメを釣り上げている。

 

身の危険をわずかばかりの強気で無視し、一カ所しか無い足場に立ち背中を切り立った岩場に押し付けるように身体の重心を少し後ろにずらす、そして仕掛けを少し上流の泡だった流れに投げ入れた。

目印が下流へ流れる。

全神経が釣りに集中し、五感の全チャンネルが最高感度の「受信」に切り替わる。

 

一投目、出ない。

二投目、出ない。

三投目、出ない。

極度の精神集中のためか、ふと背後に気配を感じた。

誰かが見ている、じっと見ている、ただひたすらオレを見ている。

背中を密着させた岩場には空間なんか無いはずなのに何かがいる、ましてや垂直に切り立った岩場だ。

小動物だろうか?だとしたら大嫌いな蛇とかネズミかもしれない。

けれどもそれらは直ちに否定される、もう分かるのだ直感で動物では無いと、動物にしては何かが足らない、そう何かが足らないのだ。

 

もっと「静」的なもの、か細くそして「汚れ無き者」に近いような気がする。

「それ」が黙って見ている、じっと見ている、観察している、ただひたすらオレを見ている。

例えるなら中性的で、か細い少女のような感じでもあった。

 

その視線が頂点に達したとき視線を手でつかめそうな感じにさえなってきた、もう釣りどころでは無くなってきた。

その瞬間、精神集中は切れたように思う、けれども相変わらず視線を感じる。

 

一度繋がった「回線」は直ぐには切れないらしく視線を感じ続けた。

意を決して後ろを振り返ることにした、ゆっくりと静かに、そしてゆっくりと後ろを見た。

そこには、岩場のわずかばかりの窪みにしがみつくように白い小さな花が咲いていた。

少しの間だけど私はその白く小さな花を見続けていた。