【日本人はそれでも頑張る】
前回のグレート・アマゾン・ワールド・フィシング・ラリー(以後グレアマとします)の続きで、文化の衝突みたいなことを書いてみた。
初日からトップを走る並木敏成選手を潰すため、ブラジル側は思い切った行動に出る。
スタートの時間になっても、ボートのパイロットが来ないのだ。
日本側は慌て出す、連日並木氏と試合の戦略を話し合ったりし、信頼を置いていたパイロットが最後の最後、そう・・・裏切ったのだ。
【勝てば官軍】
最終日になると、地元のボートパイロット達が裏で組んでいる、ということが知れ渡ったのかもしれない。
そのためか、最終日スタートの合図を待たずにボートを出す選手が出始めた、もう主催者側をも信用していないような状況になる。
フィシングラリーが始まる前から、どうもブラジル側の妨害工作があったとオレは思っている。
だいいち、日本側に渡されたルールブックが、正規の物でなかったのだ。
ということは、ルールブックが二種類あるという、ドー考えてもオカシイ事態がある。
でも、日本人って頑張っちゃうのだ、状況がどうであれ。
結果、並木氏は個人優勝、日本チームはチーム優勝、女性のマルコスはアマゾンクイーンを受賞した。
【分け前よこせ・・・の主張】
そして、行方をくらましたボートパイロットが受賞後、なんとある要求をするため姿を現す。
彼の主張はこうだ
「並木が優勝したのはオレが居たためだ、だから分け前をよこせ」と。
その主張に対し日本側は、なぜ最終日来なかった、と理由を聞くと彼は何も答えなかったそうである。
【勝ちへの執着】
若手のバスプロの伊藤巧氏がYouTubeで言っていたことが印象的で、彼は
「アメリカ人のポテンシャルが読めない」といっている。
アメリカでのトーナメントで最終日にいきなり、優勝圏内に躍り出る選手がよくいるといっている。
どうも海外の選手は「勝ち」に異常な執念を持ち続けられる・・・、そんな気がしてならない。
日本人に〝大和魂が〟あるならば、アメリカ人には死語になったけど〝フロンティア・スピリッツ〟がある、といったことだろうか。
【手のひら返し】
グレアマでは試合期間中、日本人選手が挨拶しても無視、話しかけても無視、そんな選手がいた。が、しかし試合が終わりパーティーでアルコールが入ると、豹変した。
俗に言う「手のひら返し」みたいなもので、フレンドリーになるといっている。
日本人選手もアタマでは分かっているつもり・・・なのだけれど、心情的には理解できないといっている。
最終日に来なかったボートパイロットはその後、並木氏にメールとか来るそうだ。
本人にしてみれば試合は終わったのだから・・・・みたいなものだろう。
オレがもし選手の立場だったら怒り心頭、プライベートの釣りでは彼を使うかもしれないが、試合では二度と雇わない、お払い箱だ。
【「試合」は「死合い」】
オリンピックを含め、スポーツの世界では日本人が勝ち出すと、彼ら海外勢の関係者はルールを変え出す、そして恥じることがない。
彼らにとって過程はどうであれ「勝つこと」結果だけがすべてなのだと思う。
古来日本では「試合」は「死合い」といい、それこそ結果だけがすべてみたいな世界観だ。
けれども不正な行為で亡くなった人は、それこそ死んでも死にきれない。
そうなると呪われたり、祟ったりで、後々遺恨を残す事になる。
それで、亡くなった人がもし目の前に出てきたも「人の道から外れていない、正々堂々と戦い勝利した」といえる事が大事なのだと思う。
それは天に対して、恥じることをしていない、つまり神の摂理に違反してはいないということなのだと思う。
ナもんだから、日本人のオレから見ると、裏でコソコソ動き回ってそんなに「勝ち」が欲しいのかーーーー!みたいになって。
「コンチクショー、オタンコナスーー、このタコヤロー、豆腐の角にアタマぶっつけ本番ヤロー」みたいな罵詈雑言が羅列してしまう。
オー、海外の人御免なさい。
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【リンク先・最終日、並木さんのパイロットが消えた】
後半で消えたパイロットの話になる。
オレもアタマでは理解しているつもりだが、心情的には理解できない。
秦拓馬氏、ご苦労さまでした。
これからのご健闘をお祈りしています、お身体に気をつけて。
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