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令和4年 (2022年) 6月26日 秋田県藤琴川上流域
【天候】晴れ
【気温】20度
【水温】午前8時12℃
【水質】笹濁り
【水量】増水
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【増水で釣りにならず】
昨日は雨で渓流は大増水だったらしく、高い場所の草木がなぎ倒されていた。
だいぶ増水は収まったけれども、今日は釣りにならなかった。
6月もあとわずか、ベストシーズンでこれほど釣れないのも珍しい、何かがおかしい。
増水で魚達は避難モードに入ったらしく、まったく反応無し。
珍しいことがあった、底が砂地の開けた場所で釣っていた。
増水のときは、大物が動き出すことがある、そこでパニッシュ85Fを投げてみることにした。
85㎜ミノーは渓流釣りで使う人は、たぶんオレだけかもしれない。(笑)
【これは何だ?】
コツンとした当たり、何かが掛かった。
釣り上げてビックリ、なんと死んだカジカが掛かっている。
腐敗が始まっていて、正直触りたくなかった。
普段であれば底に沈んでいるはずが、増水で水中を浮遊していたらしく、そこにオレのパニッシュ85フローティング・ミノーが、たまたま拾ってしまった・・・そんな感じ。
大体においてこの手の顔の魚は、海でも川でも食って美味いのだ。
渓流釣りで見ることが少なくなったカジカ、以前見たのはいつだったのだろう。
そのカジカを掛けてしまった、それも死んだ状態で、もしも生きていたら受け止め方も違っていたけど。
これはサッサと帰れ、というメッセージなのだろうか。
【盲亀浮木のたとえ話】
お釈迦様の話を思い出した。
「盲亀浮木」(もうきふぼく)で昔々、大海の深部から盲目の亀が百年に一度水面に顔を出す、水面では穴の開いた流木が漂っている、その穴に盲目の亀の頭が入ってしまう。
とにかく滅多に無いことが起こる、そんなたとえ話。
俺は帰ることにした、オレは結構「験を担ぐ」人間なのだ。