釣り人のことをよく太公望と呼ぶ、ノンビリと釣り糸を垂れているイメージを連想するが、太公望は武将、つまり軍人なのだ。
太公望は兵法のバイブル「六韜」(りくとう)の原型を伝え、天下にその名を轟かせた武将なのだ。
では何故、軍人と釣りが繋がるか。
釣りは昔、水占いに使われたといわれている、たしかに国魚である「鮎」は「魚」と「占」でできている。
万葉集の歌に、愛しい人が元気でいるかを、魚を釣って占った歌があるらしい。
魚を釣るための道具が「波倍」と書いて「はえ」と読む、「波倍」には一本の糸に針が数個付いていて、どの針に魚が掛かったかで吉凶を占うといわれている。
延縄漁法の延縄はここから来ているらしい。
ではなぜ軍人である太公望が釣りをするか。
全ての戦(いくさ)は、情報戦から始まる、ドンパチやる武力衝突は一番、最後で最後の手段なのだ。
太公望は占いと言う名の情報戦をする、どんな魚が釣れたか、どの針に掛かったか、それで戦を占う。
そして、釣りに使う竿は、実は武具なのだという。
竿のルーツは弓で、弓の弦を片方だけ外した状態が竿なのだそうである。
また、針は鍛冶師から作られる。
つまり水中とは異界の世界であり、その世界に一本の糸を投じ、数ある可能性の一つを引き寄せる事のような気がする。
話は変わるけど、どうやっても釣りに向かない人が確かにいる。
良い悪いではなく、水と相性がいい人が釣り人になるのかもしれない、そんな気がする。
幸田露伴に「幻談」という作品がある。
簡単にいうと、ある武家が海で船に乗り釣りの帰り、一人の水死体を発見する。
その屍体の手には見事な竿が握られていた。
翌日、船で水死体を発見した場所を通りかかった、すると水中から同じ竿が突き出ていた。
釣り人は水中に針と糸を投じるが、水中からこの世界に針と糸を投じる者がいるのだろうか。
釣りってナンだろう、そう思うことがある。
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【日本仰天起源】
荒俣宏氏、特有の緻密で先の見えない展開には恐れ入る。
日本人ばなれした発想は、以前から尊敬していた。
この本はいろいろな題材で書かれていて、飽きないし彼の資料集めは驚愕するばかりです。